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(更新: ORICON NEWS

YOSHIKI「弱い自分を倒せたらなんだって倒せる」

日本が世界に誇る唯一無二の“怪物”ロックバンド「X JAPAN」。世界への挑戦、解散、メンバーの脱退・死、洗脳騒動…そして復活。X JAPANの封印された歴史を描くハリウッド制作のドキュメンタリー映画『WE ARE X』が3月3日に公開される。その映画の制作秘話をはじめ、数々の苦悩を抱えながらも世界で活躍しつづけるエネルギー、YOSHIKIという男の生きざまに迫った。

心に傷を負った人を救えるかもしれない、そう思えた

米アカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞を受賞した『シュガーマン 奇跡に愛された男』の制作陣が次の作品に選んだ伝説的ミュージシャンは、日本のロックバンド「X JAPAN」だった。映画『WE ARE X』は、ドキュメンタリー映画で多くの実績を持つスティーブン・キジャック監督が手掛ける。栄光と挫折、生と死、解散と復活…どんな脚本家にも描けないあまりにも壮絶な真実の物語をこれまでにない近さで描いている。
X JAPAN&YOSHIKI伝説(一部)

!自身が設立したレーベルから「LUNA SEA」「GLAY」らを輩出、日本でのビジュアル系ムーブメントを作った
!日本でヘヴィ・メタルジャンルを一般リスナーに広めた
!CDセールスは累計3000万枚以上
!東京ドーム公演18回すべてがソールドアウト、100万人を動員
!天皇陛下即位10周年記念『天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典』のための奉祝曲を作曲、演奏した
!アメリカ最大のHR/HMの祭典『第4回ゴールデン・ゴッズ・アワード』にアジアのバンドとして初めてノミネートされ、ベスト・インターナショナル・バンド賞を受賞
!ハリウッド映画『SAW IV』のテーマソングに「I.V.」が採用される
!アメコミ界の巨匠、スタン・リーがYOSHIKIを主人公にした「ブレッド・レッド・ドラゴン(邦題:ブラッド)」を発表
!米・映画とTVドラマの祭典「ゴールデングローブ賞」のテーマソングをYOSHIKIが作曲
!「Born to be free」が英音楽情報誌のWEBサイトで限定公開された日、サーバーが1日5回パンク
!2016年NHK紅白歌合戦で「シン・ゴジラ」を歌の力で撃退。世界で唯一、ゴジラを倒したバンドに
!世界音楽聖堂「カーネギー・ホール」「マディソン・スクエア・ガーデン」英「ウェンブリー・アリーナ」を制覇。アジア発ミュージシャンとして初の快挙となる
!ハリウッドが制作したドキュメンタリー映画『WE ARE X』が20カ国以上の映画祭に出典。米・サンダンス映画祭で最優秀編集賞、SXSW映画祭でデザイン部門観客賞を受賞

映画『WE ARE X』はYOSHIKIの幼少期の父の死、ロックとの出会いに始まり、日本で音楽シーンの頂点まで上り詰めた後の海外進出と挫折、Toshlの洗脳騒動を発端にした1997年のバンド解散、そのわずか5ヵ月後にギタリストHIDEの死、初期メンバーTAIJIの死…。解散後の空白の10年間なども含め、まさに封印された歴史を紐解く作品だ。今回、どのような話で映画化に至ったのか。

「実は、20年以上前から、X JAPANのドキュメンタリーを作るべきだと多くの方から言われていたんです。今回の映画は、7〜8年くらい前かな…アメリカの僕のエージェントであり友人でもある人から、映画を作るべきだと言われました。ドキュメンタリーなのか、誰かが演じるドラマなのかは置いておいて、とにかく作るべきだと。興味はあったんですが、あまりにも悲しく苦しい過去があったので、やはり無理だと断ったんです。

1997年、東京ドームの解散ラストライブは30台を超える数のカメラで記録していました。当時のレーベルの人たちがライブ1年後くらいに「なんでラストライブの作品をリリースしないのか?」と、言いに来たこともありました。でも、見られないんです。悲しくて。最初の数分で涙が出てしまう。一部を切り取るだけでも過去を振り返ることができないのに、バンド全体のストーリーなんて無理に決まっている。そんな風に、何年もいろいろな人と「映画化はできない」という会話をしてきたんです。

ですが、最近になって、「X JAPAN」のストーリーは人の命を助けることもできるんじゃないか、心に傷を負った人を救うことができるんじゃないか、という意見を聞くようになりました。僕たちは進行形で活動をしていますし、そういう趣旨の作品なら作ってみようという方向に変わってきたんです」

苦しみ、悲しみは乗り越えずに「共存」していく

劇中では、これまでにどのメディアでも語られていなかった部分まで、YOSHIKI本人へのインタビューと密着取材によって描かれている。20数年間断り続けていたほどの、過去を振り返るというつらく悲しい作業をYOSHIKIはどうやって乗り越えたのか。

「まず、“人に希望を与えられるものにしたい”ということがこの映画の“芯”だったので、単純なミュージックドキュメンタリーにして欲しくはなかった。ここまでの事件、壮絶なドラマを体験してしまった以上、それらをしっかりと描くということが僕らに与えられた使命ということで始まりました。ですが、インタビューにしても、最初はなかなか過去のことをしゃべれない。聞かれても黙ってしまって中断を繰り返して…なかなか核心を話せませんでした。制作期間はとても長かったので、1カ月くらいをおいて再度映画のインタビューを受けた時に、自分の中のある変化に気づいたんです。

HIDEが亡くなった時に、僕はリーダーとして日本に帰ってきてファンの人を励ます役をしたんです。その後ロスに帰ったら心が完全にぶっ壊れてしまって、精神科の医師のセラピーを受けていました。「生きていたくない」と。当時は医師に「分かるよ」なんて言われると頭にきて帰ったりしていました。「俺の気持ちなんて誰にも分かるわけがない!」って。

「ですが…今回の劇中インタビューの後半は「こうやってお医者さんに話していたな」っていうことを思い出していました。自分が語りたくないことと向き合うことで、それを乗り越えらるんじゃないかと思うように変化していきました。この映画の制作自体が自分にとってのセラピーのような…浄化してくれるような感じです。「今日はもう話したくない」とインタビューを中断したことが何回もありましたが、最終的には映画の制作協力を通じて、自分の中の過去に通じるドアを全部開けてしまった。精神的にも裸になりました。映画は完成しましたが、悲しみを乗り越えたわけじゃないと思うんです。心の傷は一生消えない。でも共存していく何かをこの映画で見つけられたような気がします」

「誰かを救えるような映画にしてほしい」。その映画が救ったのは、YOSHIKI自身でもあった。

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