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(更新: ORICON NEWS

SPECIAL OTHERS 「音楽が好き、ただそれだけを貫き続けた10年間」

何者でもないからこそ、何物にもなれる、スペアザ流の信念の貫き方

誰もやってこなかったインストというスタイルで10年間を突き進んできた。その原動力は何だったのだろうか。

宮原”TOYIN”良太 ずっと、自分たちがやっている音楽がメチャメチャかっこいいと思ってやっていますね。最初の頃は、これが認められなければしょうがないという気持ちは皆ありましたね。

芹澤”REMI”優真 そもそも、僕らは成り立ちからして車屋の息子だったりとか…、しがない感じなので。
宮原”TOYIN”良太 お前全国の車屋の息子を敵に回すぞ(笑)

――芹澤さんは車屋の息子?

芹澤”REMI”優真 いえ、ヤギ(柳下”DAYO”武史)です(笑)。“才能あふれる”でもなくたいした軸もない4人の集まりなんで、そんなたいそうな…失敗を恐れるなんて次元にすら達していないんです。自分たちが何者だとも思っていない状態から始まっているので、ただやりたいことを楽しくやっていただけなんです。

柳下”DAYO”武史 「ミュージシャンになりたい!」とかまったく思っていなかった。どうせ俺らなんて誰も注目していない、と思っていましたから。じゃあ、好きなことをやっていこうよ、ってね。

芹澤”REMI”優真 世の中みんな、何かを抱えすぎているよね。
又吉”SEGUN”優也 そうだね。気張りすぎているよね。

――4人そろってそう思えるのってすごいですね。

宮原”TOYIN”良太 そういわれると確かにそうですね。だから友達なのかもね。高校の時からね。

芹澤”REMI”優真 生活もしていかないといけないのに、危機感が無かったかもしれませんね。正直生活なんて、仕事してなくたって(植物の)種とかあれば…ね(笑)

宮原”TOYIN”良太 僕らは日本人の考える「普通の生活」を絶対に送りたいっていう気持ちは一切ないですね。公園で寝ろって言われたら寝られるし。

柳下”DAYO”武史 頑張ってバイトしたらきっと生きていけますしね。確かにそうかも。
宮原”TOYIN”良太 幸せって人それぞれにあって、日本で「これが幸せです」って言われていることに対して信じてないです。

芹澤”REMI”優真 うん。マイホームも持たなくたっていい。
柳下”DAYO”武史 楽観的っていうか、アホですよね。
宮原”TOYIN”良太 疑っているんですよね。社会のシステムを。そういう意味ではパンクっぽいのでしょうね。でも、そんなこと言ってますが、日本はものすごい素晴らしい国だと思っていますよ。

芹澤”REMI”優真 世間での価値観は実は作られていて。何をしなければいけないとか、何が幸せとかって本当は人の数だけあるべきなのに、集約されてしまっているじゃないですか。そういうのに乗っかる必要もないし。僕らの幸せは「音楽を続けていきながら生活すること」が幸せだから、それができていれば問題ない。それで生活できたら音楽できる時間がさらに増える。お金がもらえれば、欲しい機材が買える。ついでにおいしいものも食べられる。そうすれば十分幸せです。でも、おいしいものがお金出さなきゃ買えないかっていったら…ねえ。自分で安い野菜とか買ってきて、野菜しゃぶしゃぶでもしてれば十分おいしいですよ(笑)

――バンドを始めたばかりの20代の若造4人が、そろってそんな“仙人”のような境地に気づいていたってことでしょうか?

又吉”SEGUN”優也 まー、楽観的だったよね。普通に「どうにかなるでしょ」って考えてたもんね。
芹澤”REMI”優真 漠然とデビューできるって思ってたしね。それだけ自分たちの音楽が好きだったしね。
宮原”TOYIN”良太 ね。なんの影響なんだろう(笑)。ぼんやりとですが、「これは絶対にイケる」っていう自信はありましたね。切羽詰まった思いもなかったよね。

芹澤”REMI”優真 かっこいいバンドを見て聴いてきて、そうなりたいっていう憧れ、初期衝動みたいなものがずっと続いているだけです。こんな鍵盤の弾き方している人がいたら試してみたり、それを曲に反映して、共感してもらって、それが失敗だったらやり直せばいいと思っているだけですね。

――カッコいい=「歌がないインスト」にこだわっているわけではないということでしょうか?

宮原”TOYIN”良太 僕らはライブハウスで演奏することが少なくて、クラブでライブをすることが多かったんです。歌い上げるというよりは、曲を聴かせて体を揺らす、みんなが躍るっていうイメージですね。昔は、そっちのほうが女の子にモテるって思ってたね。

柳下”DAYO”武史 DJがやっていることを生のバンドでやったらカッコいいんじゃないか、って考えてました。
芹澤”REMI”優真 DJがめちゃくちゃモテてた時代だったからね。我々にとっては憧れだったんです(笑)

――他の人がやっていることをやってもしょうがない、「誰もやっていなかったことをやること」が4人にとっての最高にかっこいいことだったんですね。「自分たちの音楽を楽しむ」以外のことは楽観的すぎるくらいどうでもよかったと。

柳下”DAYO”武史 こだわりを持てば持つほど、自分自身を締め付けちゃう。余計なこだわりはどんどん捨てていってたかもしれません。

宮原”TOYIN”良太 親がいない、っていうのも大きいかもしれないです。「こうなりなさい」っていう親の意見を聞いて育たなかったから。子ども時代の僕らに価値観が育たなかったというか、自分なりの幸せの価値観が逆に育ったのかもしれません。

芹澤”REMI”優真 確かにそれはあるね。なんか…ストリート雑誌のインタビューみたいになってきましたが大丈夫ですか?(笑)。小さい頃からハンドルを切るのは自分自身だったからね。いい意味で親の期待に応えなくて済んだっていう。

柳下”DAYO”武史 やっぱり何も背負ってなかったのが良かったんだろうね。
宮原”TOYIN”良太 音楽があってよかったね。なかったら今頃世捨て人になってましたね。
芹澤”REMI”優真 まぁ、俺らがこうやってご飯食べさせてもらっているのも結果論でね。

――結果、モテましたか(笑)?

宮原”TOYIN”良太 それが…「バンドやってないよりは」っていうくらいなもんで(笑)。僕らは“出待ち”が一切いないバンドなんでね。昔よりも、今の方が収入があるはずなのに。

柳下”DAYO”武史 今はフレッシュさないからね(笑)おっさんバンド。
宮原”TOYIN”良太 クラブで演奏してた頃の方がモテたね。

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