OLIVER

My job , my heart 「すべてのサッカー少年へ」

BUSINESS
『OLIVER』仕事人特集インタビュー。PC・スマホの普及により、メディアの在り方も変わっている。メディア人として、専門誌のクリエイターとして、編集者はどんなことを考えて仕事をしているのか。サッカー情報のナンバーワン誌『ワールドサッカーダイジェスト』、総合サッカー情報サイト『サッカーダイジェストWEB』の編集部、白鳥大知の仕事哲学。
TOPICS
P1.仕事人ができるまで〜サッカーメディア編集者の仕事とは
P2.トラブル続きの海外取材〜誇りをかけたEURO2016密着取材
P3.仕事にかける想い〜仕事人に5つの質問
Plofile
日本スポーツ企画出版社
『サッカーダイジェストWEB』編集部
白鳥大知さん
宮城県生まれ、34歳。小・中学生の頃からサッカー雑誌を作りたいという思いを持ち、大学生時代に小学館の編集アルバイトを経験。卒業後は編集プロダクション「FACT」に入社し、雑誌『STAR SOCCER』(扶桑社)の立ち上げに関わる(※現在は休刊)。その後、Jリーグ系のマーチャンダイジング会社を経て、2008年に日本スポーツ企画出版社へ入社。入社後は雑誌『ワールドサッカーダイジェスト』に長年携わり、現在は『サッカーダイジェストWEB(http://www.soccerdigestweb.com/)』の海外コンテンツを担当する。WEBが9割、雑誌が1割と両方担当している。

ワールドサッカーのスペシャリスト

<サッカーダイジェストWEB>
国内は日本代表やJリーグはもちろん、J2・J3までをカバーし、海外サッカーはプレミアリーグ(イギリス)、リーガ・エスパニョーラ(スペイン)、ブンデスリーガ(ドイツ)、セリエA(イタリア)を網羅。さらに、海外で活躍する日本人選手、ワールドカップやEURO、オリンピックの「代表国際大会」、そして「高校・ユース」と、国内外のありとあらゆるサッカーコンテンツが集まる総合情報サイトだ。

「サッカーダイジェストWEB」では雑誌編集部との垣根をなくし、WEB独自の記事と雑誌編集部から上がる記事合わせて、毎日何十ものニュース・記事がアップされ、今や日本トップクラスのサッカー情報サイトとなった。

日本にいながらヨーロッパ時間で生きる

白鳥氏の朝は早い。ヨーロッパで試合がある日は自宅でチェック。この取材日は早朝4時からの試合を観た後に2〜3本の記事を即アップ。昼ごろに出社し、取材を受けてくれた。
<サッカーダイジェストWEB白鳥さんの一日>※一例

4:00 起床
4:45 海外リーグの試合チェック
7:00ごろ 原稿執筆、チェック〜WEBサイトで公開
<仮眠〜昼頃> 編集部に出社
14:00 海外取材の申請手続き・段取りほか
15:00 後輩・外部ライターの原稿チェック、原稿執筆
16:00 イベント取材
18:00 タイアップ企画の打ち合わせ
19:00 ワールドサッカー系企画の仕切り、後輩・外部ライターの原稿チェック、原稿執筆
22:00ごろ 退勤

作業や予定が入っていないときは随時原稿執筆、原稿チェックにあたる。多い日は一日で10本くらいの原稿チェックを行うそう。
WEBサイトはスピードが勝負。試合結果などの速報記事もアップしつつ、注目選手の動きがどうだったか、フォーメーションや戦術はどうだったかといったジャーナリズム視点の記事も執筆する。

「スター選手の移籍情報などの“特ダネ”があれば、夜中だろうが早朝だろうが即アップします。夜通しずっとPCにへばりついている時もありますよ」(白鳥氏)

白鳥氏はワールド担当なので、常に海外のサッカーコンテンツをチェック。いち早く正確な情報を読者に届けることを使命としている。

サッカー少年がジャーナリストに

子どもの頃は地元・宮城県でサッカー少年だったという白鳥氏に、サッカー媒体編集者への道を志したきっかけについて聞いた。サッカーが好きで好きでたまらないから仕事にしようと思ったのだろうか?

「小学校の頃はJリーグ選手になりたいと思ってましたが、自分の実力ではプロになれないなと、中学校の段階で早々にプレーヤーとしての自分に見切りをつけていました」

白鳥少年は、中学校の授業中に教科書ではなく当時の海外サッカー情報を扱っている二大サッカー誌『ワールドサッカーグラフィック(現在は廃刊)』と『ワールドサッカーダイジェスト』を読み漁っていたそう。

「僕が小中学生の頃はイタリアのセリエAが世界最強リーグといわれた時代で、イタリア代表も強かった。ワールドサッカーダイジェストもそっちに寄った記事が多かったですね。その影響もあって、Jリーグそっちのけでワールドサッカーの情報を追いかけていました」
当時の『ワールドサッカーダイジェスト』(1995年10月号)

当時の『ワールドサッカーダイジェスト』(1995年10月号)

「深夜に『セリエAダイジェスト』というすごい番組がありまして、当時はYOUTUBEもスカパーもなく、海外リーグの試合はBSやWOWOWでたまに放送する程度。イタリアのリーグの映像が見られるなんてすごいことでした。毎回録画して、VHSテープが擦り切れるくらい何度も見ていました」

サッカーを始めて1・2年でJリーグがスタートしたが、94年のW杯と「ワールドサッカーダイジェスト」「セリエAダイジェスト」を見て以降は、極端にワールドサッカーに傾倒する少年になったという。白鳥氏の永遠のスターは、「イタリアの至宝」といわれたロベルト・バッジョ選手だ。

「自分で言うのもアレですが、ちょっと変な子どもでしたね。誌面のフォーメーションを見て、『いや、こっちの戦術のほうが強いだろ』なんて思いながら、学校の教科書にフォーメーション図を書きまくったり(笑)。で、いつしか自分で雑誌をスクラップして、ノートに張り付けて…“本チックなもの”を作っていました。本当にそういうことを無駄に真面目にやっている子でした。だから“あ、俺、いつかこれ作ろう”って、そう、まさにこの『ワールドサッカーダイジェスト』が作りたかったんです」

高校の頃には、所属するサッカー部の監督にフォーメーションとレギュラー人選を提案することもあったという。そんな白鳥氏が大学卒業後に働いた会社はいずれもサッカー関係。25歳で憧れの編集部の仕事に就き、夢をかなえた白鳥氏。だが、仕事となると楽しいだけではなくなる。
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